一般
- 栄養サプリ、取り過ぎ注意 日本人「2割」が過剰、健康リスクも | 毎日新聞
- デジタル教科書も無償配布 改正法案を閣議決定 | NEWSjp
- 自転車で走行中、警察につかまれ転倒 「違法な職務質問だ」と提訴へ [大阪府]:朝日新聞
- 【記事全文】TBS「報道特集」 4日放送回の専門家発言を補足 ナフサ問題めぐり「趣旨を適切にお伝えできなかった」 – スポニチ Sponichi Annex 芸能
関連:TBS「報道特集」、ナフサ供給「日本は6月に詰む」発言で見解 高市首相らが「事実誤認」と否定、番組は「引き続き取材」: J-CAST ニュース
補足(4/4-4/6):ナフサ不足で「今の状況が続けば日本は6月に詰む」との報道を高市総理が否定「総理の直接の発信は効果的」との意見の一方、記者会見を望む声も – Togetter
報道内容そのものには触れませんが、表現方法としては考えることの題材として面白そうなので触れておきたい。
「恐れがある」ってのは言い換えると「可能性がある」ってことで、つまるところ絶対とは言い切れないときに使う、主に注意喚起のような場面で用いる表現。
「間違いなく」ってのはその文字通り「間違いがない」、つまり「絶対」という意味を持たせた確率が0%か100%のいずれかだと言い切るときに使う表現。
「恐れ(可能性)」を伝えたいってのが目的(趣旨)であるならば、「間違いなく(確定的)」っていう表現を使ってしまったのが、誤解釈を生みやすい原因になっている感じですかね。
実際のところ件の報道番組内の専門家の発言では、「間違いなく」の後に、前提条件となる「今の状況が続けば」という仮定が挟まれていますから、文脈としては確定的っていうよりかは可能性の話ではあります。
なので、「恐れ」について言いたいのだろう、という解釈は出来ますが、単語を切り取ってみてしまうと、
解釈次第では煽っていたり、何らかの主観に基づいてプロパガンダを行っているようにも見えてしまいますので、
「事実を報じることが主目的」の報道番組としては、伝え方はまぁ不適切だったのかもな、とは思いました。
(脱線するけど、個人的には可能性で断定はしない、確たる判断材料(情報)がない場面では「絶対」という思い込みの解釈はしないよう常に留意しています。
論理的思考と言われるもの、そのものですかね。
考えること自体に意味があるものならば考えるけど、事実(答え)を出す必要があるものについては情報(知識)・証拠等の根拠がなければ出しようがないから、そういったものについては考えることが必要なのではなく調査・学びが必要だ。
その「切り分け」は「考える」必要はありますけどね。でも、いずれも「無」からは出てきません。故に学び続ける。
それが判断できない状況であるならば、誰かの意見をそのまま「真に受ける」のはリスキーなので、「なんで?」「どうして?」と疑問に感じ、出来れば自身で調査・学んで納得できる材料を集めた方が無難です(誰かに答えを聞いたら、それこそ真に受けることになって本末転倒ですからね)。
それすら出来ない状況であるならば(時間がないとか、色々事情はでてくるだろう)、少ない材料の中でも、結果に後悔するかもしれないが自己責任で やむを得ず決断するか、もういっそ諦めたり、それには触れないでおく、っていう選択肢を選んだり、だな。
論理っていうとゼロかイチか、はい か いいえ かの答えをきっちり出すことだと勘違いする人を割と見かけるのですが、そうじゃない。
出せない答えは出せないし、分からないものは分からない、っていうカテゴリ・分類はちゃんとある(幽霊とか宇宙人がいると思いますか? とか、その類がまさにそれ。存在も非存在も、どちらも確たる証明が現時点・現状で出来ないのだから、否定も肯定もできない、分からない以上の何ものでもない。信じるだとか信じないだとかは「主観」の話であって、論理なんか関係ない)。
もちろん可能性だけで判断したものが、未来、正しかったと証明されることはありえるでしょう。でもそれが確定するのは未来であって、現時点ではない。
例えば「宇宙人はいないだろう」と「現時点」では言っていたとして、未来、「宇宙人がいることが証明された」場合に、「宇宙人はいないだろう」って言っていた人たちのことを「ウソつきだ」と非難するのは理不尽でバカげてますよね。この場合「だろう」であって、誰も「いる」などと断定はしていない。
今回の事案に置き換えると、何らかの試算・予想を元に、「あと2カ月で・・・」とか言って、未来(2カ月後)にその通りにならなかったとしても、それは「ウソ」ではなく、「可能性」に当てはまらず「試算・予想」が外れただけの話です。
これはギャンブル(賭博)のような場面とそう大差はないですよ。「予想を外す」ことを「ウソをつく」ことだと解釈する人は普通はいません。絶対(確率が0%か100%)にそうだとは言っていないわけですからね。
そういった「整理」、「切り分け」をすることこそが論理的な思考だろう。
それが欠けていると、例えば何らかの主観が入り混じったりして、表現や解釈のミスが起こりやすくなる。
発信する側と受ける側の双方の解釈に誤りが出ると不幸なすれ違いになりかねませんからね。
可能性を考えることや、考えるためのベースとなる情報・知識の収集は出来るのならば生きている限りはやり続けた方が良いとは思います。) - 小1の時の授業参観で『知っている単位はありますか?』と先生に聞かれたので『メートル』と答えたらたくさんの大人に笑われたのまだ意味わからん – Togetter
「笑い」って解釈によってはネガティブな受け取り方(嘲笑など)もできるから、場面によっては空気感を察して真面目に笑った理由を説明することも必要かもしれない。
