一般
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- ウーバー自転車が首都高に コロナで需要増、目立つ通報 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
この記事タイトルだけみると、自転車で首都高を利用することが増えていると解釈できてしまいかねないですね。
中身自体は、自転車利用者への通報が増えている事案の一つとして、危険性が特に高い首都高の件にまずは触れて話し出している、という流れのようです。自転車に乗った配達員が「携帯電話を見ながら運転している」「歩道でスピードを出していて危ない」「信号を無視した」といった通報が目立ってきた
(自分が見てきた中から考えても)Uberの配達員「だけ」に言及すべきものではないってのは認識すべきだと思います。
文字通り、Uberの「名を背負った」カバンなどでわかりやすいから、余計に目立つんでしょう。
例にあるような電話(スマホ)をみながら運転なんて、それなりの確率で見かけるけど、
周りがその行為を見ても素通りすることの確率は、もしかすると9割は余裕で超えているんじゃないでしょうか。
「誰だかわからない人」が違反しても、相当なことが無い限り、事なかれ、我関せず、で、見逃すことがほとんどだと。
これ(Uberの件)については、例えば「車に会社名があった」とか「どこどこの学校の制服をきていた」とか、
そういう区別しやすい要素もあることで、全体を見ずにそこばかりに注目し、
「『また』あそこが違反している」というバイアスが働いてしまって、
それに対して感情的になったり、そして明確にどこの誰、というのがわかることで指摘しやすくもなっているから、
そこに対してのみ通報する、とかが要因として大きいかなと思います。
関連:認知バイアス – Wikipedia
ネット上のコメントやリアルの世論なんかもそうだけど、目立つ意見の「声の数」と「声の大きさ」は違うものですから、
もっと俯瞰してみないとダメだとは思います。
こういう風に書くと、これもまぁ曲解されて勘違いされる文章になりそうなので、
念のため明記しておきますけど、実際に通報があった以上、Uberの配達員の中のごく一部が違反したのは事実でしょう。
そこについての言及ではなくて、何かを棚に上げずに、公平性をもったり、現実を見ることも大事ですよね? って話です。
特定の誰かに対してだけ攻撃や批判しても、それだけじゃ本質は変わらない、動かないですけど、
この辺はいったん世論として認識されてしまうと、そのまま偏った状態で突き進むことが多いので人間社会としては怖いところです。
プロパガンダとかにも使われますからねぇ・・・。
確かに一部について、それそのものが事実なら、嘘をついているわけでもないし、
あるいは、「清濁併せ呑めない」方がいるってのも確かにそれはそうなので、
例えば何か問題を起こした方が、過去にどれだけ評価されるべき実績を残そうが、
全体の、最終的な利益で見るよりかは、今、目の前の起こったことだけに追及し、徹底的に排除しようとしたり、など、
救済もしない、悪と断じて終わり、みたいに、
いろんな諸条件や背景が重なると、その意見・事案の隠れた、隠された事実が見えずに、あるいは見ようとせずに、
それが全面的に正しい物事だと信じて疑わない、という見方が生まれたりする。
この辺は、何度も同じことを言ってしまっていて くどいんだけど、
前述の関連にリンクとしてはった「認知バイアス」などがそのものですね。
これは本当に厄介で、いったんそのバイアスが働くと、
別な考えを提示しても端から拒絶されやすくなるので、
例えば打ち合わせ等々で、どうすれば誤解なく、
相手に本質を理解・認識してもえるかってのは、
最初が肝心だなぁと、自分の場合は事前に資料を作る段階などに、
とにかく時間をかけて調べたり、考えたり、論理を組み立てて対応することが多いです。
ただその内容を提示する際に、理屈から説明をすると話が長くなってしまったりで、
本当に伝えたいことが伝わらなくなりかねないため、
極力、まとめや結論、要旨を先に言ってから、
必要・状況に応じて、「詳細知りたい場合は後述に書いた理由を見てください、あるいは追って説明します」
といったやり方にはしています。
例えば自分のこの長い文章においては、冒頭に書いた「Uberだけに言及するな」ってのがそれです。
やっぱり最初にどこに向かっているのか、という目的を見せてからの方が、
理解も進むし、ブレもでにくいですからね。
その辺は自分が打ち合わせは、長くなっても30分以上はあまりかけたくないってのもあるってのはあります。
後々に時間を短縮できるのならば、面倒なことでも最初に時間をかけて準備・対策をしたい、
その方がトータルで見れば、そこにかける時間は短くなる、という時間の先行投資的なものなのですが、
あまりにも脱線しすぎるので、ここで打ち切ろう。。
どうにも派生して、自分の中のスイッチが入ると延々と続いてしまうのは悪い癖だ。
話し相手が見えていると、ああ、これは興味ないな、などなどの空気が流れるから自重はできるけど、文章の場合はもう自分次第でやりたい放題ですからね。
だからこそ余計なことを言ってしまうことが多くなってしまうんでしょうけども。 - ロシアの9歳少女が女性器切除、人権団体が父親らを告発 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
宗教的な背景もあるのか。
日本でもこの手の話がないわけではないですからね。
関連:「信教の自由」と「子どもの人権」のはざま〜『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』を読んで | ハフポスト
ほか:100人以上が魔女として告発された「セイラム魔女裁判」とは一体どんな出来事だったのか? – GIGAZINE
それこそ人権において、親の宗教的な価値観は子どもには関係ない。
子どもは子どもで、自分の意思で選択をできなきゃいけない。
例えば自分は、宗教的、あるいはある種の信仰的、文化的な側面が強くでている、
お墓やお葬式などといった類は、自分自身に対してはいらないと考えているのですが、
そうはいっても(日本国内では)それが通念から逸脱しているというのはわかっているわけで、
社会秩序の面、という論理から見ても、わざわざ自分から声を上げることはしません。
別に世が変わる必要すらない、、ただただ選択肢としてあるべきだけの話。
しかし、なんらかの括り(宗教的な価値観など)から逸脱するだけで、やれ非人間だなんだとまで罵られる始末で。
自分は自分に対してはいらない、と主張しているだけで、別に他者にまでそれを押し付けていませんし、
同意を求めているわけですらないのに、まるで間違っているかのように、なぜか相容れないものとされてしまう。
いったい彼ら・彼女らは何を見て、何と戦っているんだろうなとは思います。
こちらが気にもしていない、そもそもの主観が違う相手から何か言われたり等の攻撃をされる場合、
概ねは大人の対応(スルー)をしておけばまぁいいんですが、
この記事みたいに、そうは言っていられない状況に発展することはありますからね・・・。
そして触れたくない話題に今回触れたのは、別に他意はないですが、
最近、本当に意思疎通って難しいよなと思うことがあったので、なんとなく書きたくなっただけです。
バイアスがどうこうの話も、まさにそれなんですけどね。
今日(5/23)付けの日次まとめの記事が久しぶりに当日中の更新に間に合わなかったのも、
その辺で個人的に優先しないといけないことがあり、時間の調整が出来ず、
そもそも日付が変わってからの着手になったってのが要因。
そこに対しての愚痴をどこかに吐き出したいってのは確かにあった。
これで多少はすっきりできたので、また自分のやるべきことをやることに戻るだけだけど、
自分のそこにかかる問題自体は解決したわけじゃないから、やっぱり胃は痛いまま。。
あとはコロナ関連で余計に見たくもない負の情報が目に飛び込んでくるから、自分に関係ない物事でも精神にくるものはありますね。
本当に相手を見て話している割合はいったいどれくらいなんだろうなぁ・・・ - スペイン男性「大麻だと思って4年間吸っていたものがパセリだった、金返せ!」売人を訴える:らばQ
スペインでは大麻は合法だそうですが、
仮に大麻の使用が違法だったとしても、それはそれ、これはこれで、
相手が大麻だと偽って売った場合は、それを詐欺として主張し、場合により法に問うことはできますからね。
その結果、訴えた側が別件で捕まることはあるかもしれませんが、
法(ルール)と、人の権利は、そういった意味では公平でなきゃいけない。
悪人だと世間から区別されるような方でも権利はある。
ただ、権利を主張しすぎるのは、秩序を乱しかねず、
社会としてせっかく決めたルールが本末転倒になるので、
それはそれで、通すべき権利の見極めや自重・自制の類は必要ですけどね。
そこにばかり気遣って、物を何も言わなすぎるのも、健全性が損なわれかねないですけれど。 - 歩道に居酒屋、人目あるけど3密は安心 佐賀で社会実験 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
そうできる場所(土地)があるなら選択肢としてはいいんじゃないでしょうか。
利用する・しないは、それこそ個々の権利ですし。
ただ、アルコールが入る場に限って強く言えば、
本人が恥ずかしいとかそういう問題ではなく、他者への迷惑には注意が必要。
必然的に公衆の目や耳に触れますから、言動・声の大きさ等は特に。
関連(2019年5月):路上飲酒の禁止を検討? – 特集ダイジェスト – ニュースウオッチ9 – NHK
海外じゃ公衆の面前でお酒を飲むのを禁止していたりしますからね。
日本はまぁその辺は緩いというか自由があります。
関連:日本は「お酒天国」って知ってた? 実は厳しい海外のお酒事情 | GetNavi web ゲットナビ
関連(一例として):「公共の場での飲酒」が原則禁止されているアメリカ | ハフポスト
ゲーム
- 実はビデオゲーム中毒になる可能性はかなり低い? 米大学が研究発表 | Techable(テッカブル)
数の大小、割合の大小って判断が結構難しいんですよね。
数値に踊らされやすいんです。
例えば問題が出る割合・確率は10%だ、としてこれが少ないかと言うと、
仮に母数が1億人いたら、10%って1000万人ですよ?
さすがに無視できる数値ではなくなってしまう。
あとはまぁ、他に多角的に見たい情報として、
例えばギャンブル等の場合、中毒になる割合はどれくらいなんだ、とか、も知りたくなってくる。
もちろん相対比較して、じゃあギャンブルよりゲームの方が中毒性が低いなら問題ない、
あるいは高いから問題だ、とかいう話ではもちろんないんですけどね。
ただただ、状況を、情報を知っているかどうかで、考えられる幅が広がる可能性はあるので。
ちなみに軽く検索した限りでは、ゲームよりもギャンブルの方が中毒性が低い、という結果にはなってしまう。
これを聞いただけで、ゲームは危険だ! 害悪だ! ってバイアスがかかる方も一定数いるだろうなぁとは思う。
関連(2017年):ギャンブル依存症疑い320万人 厚労省推計、諸外国と比べ高く :日本経済新聞
そもそもこうした調査で、絶対に知りえないことの前提が1つあって、
母数を確定できるすべが存在しない、ということなんですよね。
だって、ゲームしてます、ギャンブルしています、なんて自己申告でしかないし、いくらでも虚偽できますから、
そこから中毒になった割合を確定的に出すことは不可能なんです。
だから全量ではない統計から推測するしかなく、ある程度は当たっているだろう、という前提のもとでの参考値にせざるえない。
関連:統計学 – Wikipedia
結局、だからどうしたって話で、中毒になるかどうかは個々人の問題・環境に行き着くため、
数の大小の視点で議論するのではなく、本質としてそこ(中毒にならないため)をどうカバー、サポートしていくかに目を向けなければいけない。
じゃあ、数の大小って何のために出しているんだって話ですが、多角的な見方の判断材料の一つとしては有益であるからですね。
無駄ってわけではないんです。世の中、いろんな物事があって、それについて話さなきゃ、決めなきゃいけない。
でも、「いろんな物事」は延々と出続けるわけです。
時間は有限ですから、そうなると当然、優先度を決めなければいけず、その指標として数値ってのは大事になってきます。
それ(数値)以外に客観的、合理的、あるいは画一的に判断できる材料ってまず無いですから。
マイノリティが往々にして後回しにされやすいのも、その辺も理由にはありますね。
人間を区別して考えるなっていう話もあるので、単純にマイノリティを例に出すのは、ここではあまり適しては無いのですが、あくまで説明上の表現の話です。
その他
- なんか最近、病み始めたなぁ、自分、とは自覚してます。
そろそろ適度に手を抜き始めた方が良さそうだ、という区切りも踏まえて、今日付けはコメント重視のピックアップをした。
そもそも、ただただ記事をピックアップしたり、他人のコメントを載せているだけじゃ、それそのものの情報としての価値は薄いというか、ほぼないですからね(個人のBlogは報道ではない)。
自分の言葉、あるいは知識も載せることで、そこからの付加価値が生まれるので、コメントは合った方がいいってのは自分の考えですが、さすがにここまで長いと、明らかに単体の記事として公開・整理した方がいいですし、日次としての運用方法には適してないなぁとは思ってます。
時間的な問題や、面倒さは要因としてあるので、それでも今後、結局、そういう傾向に戻ることは、自分自身が予測・想像できてしまっていますけどね。。
自分の目的自体からはズレていないし、手法の問題だから、まぁ余裕がない今は置いておこう。