日次まとめ 2021年12月22日

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  • 児童ポルノを検出する「PhotoDNA」はMicrosoftの主張に反してハッシュから画像を再構成できる – GIGAZINE
    技術についてどうこうではないのですが、
    これって、オリジナル画像もあって相対比較しているから、
    脳内保管で似ている、近づけていると判断できているだけで、
    実際やろうとした場合(現実的に特定の意図をもって利用しようとした場合)、
    オリジナルの画像との比較はできない(オリジナルはわからない)ことが前提になるだろうから、
    このぼやけたモザイク画像だけをみて、それがいったい何なのかと、
    それ単独で元の画像を知る(想像する)ってのは、可逆的とは言えないんじゃないかと思うんだけれど、
    結局、オリジナル画像ありき、という前提のもとの主張・結論ってことなんだろうか。

    いや、ふと、答えがわかっているものに対して、
    その解を出す手法(≒方程式)を編み出したものへの立証で、
    結果が「同じ」ではなく「主観で似ているかどうか」を語るってのは、果たして良い方法なのだろうかと。

    ああ、いや、リバースエンジニアリングの本質を考えると、
    アプローチとしておかしくないことは理解しています。

    まぁ言ってみればシミュレーションとやってることは同等ですよね、この場合。

    でも最終的に「同等」であることは「可逆」なのかってのがどうにも定義的にひっかかるものがある。

    画像は、結果として人の目で見た場合の認識でどうか、という話になるから、
    数学とかみたいに明確な判断ではないんですよね。

    似ているかどうか、だと、どうしても主観になってしまう。
    人間って記憶から視覚情報を置換することがありますし、
    いわゆる「錯覚」の類しかり、「それっぽく見えるともうそうとしか見えないアレ」のような現象を考えると、
    ・・・ああ、まぁだらだら書かずに言えば、やっぱ「可逆の定義の問題」になるか。

    定義、つまり向いている方向の違う議論じゃ、そりゃ主張に食い違いはでるだろう。
    そう考えれば、すっきりする。
    「なるほどね、あなたの定義で解釈すればそうだよね、そういう考えもあるよね。
    じゃあ、もう一方の場合の定義で考えた場合はどうだろうか」という内容で方向性を調整しながら議論してほしい類かもな。

    だって、事実や結果だけ「そうだ」と言われても「どうして? なんで?」っていう根本が理解・納得できないと心理的に受け入れづらいものですからね・・・。
    もし疑問も持たずに受け入れようものなら、それって洗脳と何が違うんだ、と自分は考えています。
    せっかくの人間なんだから、もっと知能を、考えをめぐらせてみようと。
    そういう意味だと「過程」ってのもとても大事だと思います。