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度合い的にだいぶひどい。いや本当に文字通りの「非道」だ
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ああ、まぁ感嘆符「!」は感情表現や、強調などで使われますからね。
例えば、「しかと受け取りました」の「しかと」のような意味合いを持たせるのに、
「了解です!」と感嘆符を付けて強調するのは、表現上は別におかしくはないとは思っています。
ただ、合理性の面で言えば、「了解」という意味が伝わればいいだけなので、感嘆符が(仕事の上で)必要か不要かと言われれば「不要」でしょう。
つまり不要なことをしている=業務上の無駄がある、と判断できますから、
業務効率を追及するなら止めるべき、いかがなものか、という意見がでてもおかしくはない。
一方で、その人の癖とかって、下手に治そうとすると結果的に効率を落としたりすることもあるんです。
例えばプログラミングとかもそうですが、文章を決まった体裁・書式(フォーマット)で書かなければいけない、となったとき、
具体例で言えば、文章の始まりは1文字空白をあけて書き始めましょう、みたいな決まりがあったとして、
その決まりを覚えて、わざわざ意識して書かなきゃいけないとなると効率は落ちます。
だから(効率を上げるために)、まずはその決まり事を意識せずに本人の自由に書かせて、
最後に機械的に一括で修正をする、といった手法をとることがままあります。
プログラミングなんかの場合は、コードフォーマッターみたいなツール(文章の自動整形を行う道具)があるので、
さらに本人は意識せず、高効率で実現はできます。人間が物理的に紙などに手書きする場合などはさすがに電子的な手法は使えないのでアレですけども。
関連:フォーマッターとは – 意味をわかりやすく – IT用語辞典 e-Words
で、何が言いたいかというと、下手に感嘆符「!」の抑制を意識させて、
効率の悪化が起こりえるリスクを考えるくらいならば、そのままにさせたほうが、逆に合理的な場面があるのではないか、ということです。
文面に感嘆符があった場合、読み手側でそれを読み取るか無視するかをすれば良いだけですからね。
強いて言うと、あまりにも合理性の点で無駄が多すぎた場合は別途検討が必要でしょうかね。
感嘆符などの不要な文字を乱用しすぎた場合、1文字あたりの入力時間はごく僅かでも、
年間通せば数秒、数分以上の無駄が生まれていることにはなります。
でもさすがに10分とかは超えないじゃないかと思いますけどね。
例えばタバコで長めの休憩時間を作ったりする方などに比べれば、無視して良いレベルかなぁという目算。
だから合理性の面で言えば、個人的には賛同はできないけど、黙認はできる、といった感じか。
というのは、正論やデータを用いたお堅い人向けへの内容。
おそらくですが「いかがなものか」と言った方は、そういった合理性の面で言ったわけではないんじゃないかと思います。
一般論的には感情面で意図した読み取りがされない可能性があるのに注意が必要になる。
例えば場合により煽(あお)っていたり、逆ギレされているように受け取られることも無いとは言えず、
読み手側にとっては不快に感じる可能性がありますから、だれかれ かまわずに使うのは推奨はいたしかねます。
つまるところ相手のことを考えて行動をとる「マナー」のような類ですね。
今回のピックアップした記事にしても、いかがなものかと言われた後に、皮肉を込めたんだろうけど わざわざ感嘆符を使って返したようですからね。
そこに「煽っている意思」は少なからず感じられるでしょう。
もちろん最初の「了解です!」には意思はなかったでしょうが、そのように使いどころや場面によって込められているものが変動してしまうという点では、
相手への感情面に与える影響が大きくもなりえますから、その判断やコントロールが自分自身でできないなら、使わない方が無難です。
上記理由で総合的に考えれば、あくまで「個人的には」ですけれど、読み手によって込められた意思の解釈が変わりうるという点で「対外的な文章」などには使わない方がいい、
それ以外の身内のやりとりなり、意識して強調したいなどのケースについては、よっぽどひどい表現じゃない限りは本人判断で使用可否は委(ゆだ)ねていい類だは思います。
何をもって「よっぽどひどい表現」とするのかの判断基準は難しいというか主観が入る余地はあるだろうけども。