問題を解くための読解と、ただただ文章を頭から読んで内容を理解するための読解方法は異なるとは思う。
小説などは後者の頭から読んで内容自体を整理しながら読解するものだが、
こういう「試験問題」のようなものは、「問いの答え」が分かれば良いだけだから、
自分の場合は読解の仕方が変化して、今回の場合は「Alexandra」の「愛称」を探すための読み方になる。
要は「特定の目的、問題解決のため」だから、
この文章の場合だと男性とか女性とか、Alexanderとかいう関係なさそうな単語は
脳内でフィルターがかかって、読み飛ばしやすくなる。
たぶん個々の人の中で、認識によってそういう読解におけるなんらかの条件反射が起こってしまうから、
その条件となる根本に誤りがあれば、結果的に正しい解釈もできなくなったりもあるだろう。
頭から読んで内容を理解していくのは
リテラシーが必要だけど、
問題解決のための読解は、単語の意味が分からないものが混ざっていても概ね答えは導けますし、どちらかというと論理側の思考が必要なんじゃないんですかね。
つまるところ、答えを知りたいだけ(目的を達成するだけ)だと、「文章をまともに読まなくても良い」というべきか。
で、それをやりすぎるのが問題で、能力低下を招くのかなと。
世代とともに、頭から文章を読むことが年々少なくなっていってますよね。
読書量の減少はずっと言われていますけど、SNS系の短文のメッセージのやり取りなんかも文章の連続性が失われることで、文章の整理や繋がりの読解を妨げていますし、
そういうのが、この辺の能力を悪化させる進行速度を早めているのかもしれないなぁと感じています。
ただまぁ「思う」とか「感じる」とか書いた通り、この辺はガチで調べてはいないので主観的なものです。
ちゃんとした研究者・学者さんならもっとハッキリとした見解はあるでしょうね。
といっても統計は統計で、例外は当然でてくるでしょうから絶対というものでもないだろうけども。