労働の在り方や時間は労働者も考えよう

元ネタは下記で、そういえばこんなこともあるよな、と思ったところです。

連合会長、「脱時間給」修正要請へ 近く首相と会談  :日本経済新聞

連合は8日、労働時間でなく成果に対して賃金を支払う「脱時間給」の制度化を盛り込んだ労働基準法改正案について、政府に修正を申し入れる方針を固めた。労働者の健康管理に関する対応を強化することが柱。神津里季生会長が近く安倍晋三首相と会談して要望を伝えることにしており、政府も連合案を受けて修正に向けた検討を始める。労基法改正案...

上記の記事については、前から話があがっているホワイトカラーエグゼンプションのことです。
関連:ホワイトカラーエグゼンプション – Wikipedia

国内では「高度プロフェッショナル制度(特定高度専門業務・成果型労働制)」と呼び、導入に向けて議論されています。
なぜか「残業代ゼロ制度」と呼ばれることもありますが本質は全く違います。
簡単に言えば、労働時間ではなく成果に応じて支払う、という考え方と捉えていいと思います。

ただ、「扱う方」(あえて言い変えれば「ブラック企業」)が、制度を悪用すれば、残業代ゼロという見方になってしまう「恐れ」はあります。
でも本質はそうじゃないんですから、この見方の違いがあれば、意見のギャップは一向に狭まらないでしょうね。


もうちょっと具体的に言えば、これって「出来る人」のための制度と捉えてもいいんです。
時間給の概念を適用してしまうと、例えば8時間働いて「1」の仕事をこなす人と、8時間働いて「3」の仕事をこなす人の給料が同じになるのです。
おかしいでしょう? 同じ時間内に仕事を3倍こなしている人とそうじゃない人の賃金が同じだなんて。

そういう風に「時間で成果を評価する」ことが不適切になる場面は確かにあるんです(特に業種によってはそうなりやすい)。
だから対象にならない人はもちろん関係がない制度です。
ただし、もちろんポイントになるのは、じゃあ対象になる条件等は? です。
この制度の導入に向けて議論になっているのはそういった要件に関するところです。


根本にあるところを引用(PDF:2015年2月13日審議会)

一定の年収要件を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、長時間労働を防止するための措置を講じつつ、(略)

ちょっときつい言い方になりますが「出来ない人」の存在も議論にはなりえます。
対象になる条件の一つに「年収1075万円」を確実に見込める、というものがあります(あくまで現時点の案です)。
要はそれだけの給料を貰っておきながら、所定の労働時間内に業務をこなせないで残業している方からすれば、
この制度を導入すれば確かに残業代は出なくなります。

でもそれって「高度な能力」を持っていないのですから、そもそもその業務内容が不適切とも言えます。
逆に言えば高度プロフェッショナル制度の適用対象になっちゃいけないのです。
結果的に高度プロフェッショナル制度によって事実上の残業代がカットされるんことが悪いんじゃなくて、それ以前に制度が適用されない見合った給与にする(落とす)べきなのでは、ということです(もしくは見合った業務への転換)。
そうすれば、当然ながら普通に時間給を適用し続けることになりますし、もちろん残業代もありますから、合理的なところに落ち着くわけです。
これはあるべき論で、人によってはかなりきつい内容になっているのはわかっていますが、目を背けてはいけない部分でもあります。


一方、別な見方で残業代について懸念すべきところは不適切な成果目標の場合です。
これは前述のブラック企業云々の方にありうるところです。
どんなに出来る人でも1日に「3」こなすのが限界なのに、成果として設定・求めているのが「5」だったらどうでしょうか。
当然達成するにはどんな人でも「残業」をしないといけなくなります。
だけど成果報酬型だとどんなに仕事をしても貰えるお金は変わりません。
これでは長時間労働になってしまいますし、事実上の残業代のカットとも言えてしまいます。

じゃあ、あるべき報酬額を増やせばいいのか、というと、そもそも設定された成果が変わらなければ長時間労働の点は解消されません。
そういった意味では危険のある制度なのですが、よく考えなくてもわかる通り、これは「扱う側」の問題でしかありません。

これは、そうですね、個人的に深く考えずにパッと出た一つの案として、例えば高度プロフェッショナル制度を適用しても必ず労働時間も申請する(もちろんこれは労基署へ)方式にすれば、システム的に悪用の検知は可能かもしれません。
制度対象になったどの社員(もしくは一定割合の社員)も労働時間が多いことがわかれば、設定された成果目標が不適切だと明確にわかるからです。
申請内容を企業側で改ざんしたら法的に処罰すればいいだけです。
もちろん不正により払うべき賃金の不足が認められればそれを払って、再発しないように企業に求める。

そういったことにならないように、・・・反面、そうはいっても企業側の実態もあるでしょうから、条件の妥当性も踏まえて議論がある、といったところです。


こういった「扱う側」の問題については、固定残業代(みなし残業)・見込残業手当の運用も同じ雰囲気はありますね。

会社側からすれば固定残業代ってほとんどのケースでコストの圧縮にならないんですよね。
これはどんなに残業されようが、同じ残業代、というものではなく、全く逆です。
「どんなに残業がなくても、必ず最低額の残業代を支払う」制度です。

固定残業代って必ず、導入するには根拠が必要なんです。
簡単に言えばその固定残業代は何時間分にあたるか、です。


固定残業代として3万円支払われているとします。
そしてその3万円は20時間分の残業時数としましょう。
つまり時給換算すれば1時間あたり1500円(30000/20=1500)です。

一方、その人の月額で貰っている基本給から換算した時給額も1500円としましょう。
※例として基本給24万円で、1日8時間、月に20時間働くと240000/(8*20)=1500。

あたりまえですが、この人の残業時間が月に20時間なくても「固定」残業代ですから3万円は必ず貰えます。
なんてありがたい制度でしょう。
これが「ホワイト」な所以なのですが、じゃあ「ブラック」なケースとは。


もし残業時間が20時間ぴったりだった場合はどうでしょうか。
固定残業代が20時間分となっているので、3万円の支給のままで問題ないか。答えは高確率で「NO」です。

残業にはまず、「法定内」か「法定外」の区分があります。
これはその名の通り、法律で定められているものです。
細かいところは省きますが、原則として労働時間は1日8時間というものがあります。
具体的には、1日9時間労働した場合はオーバーしている「1時間分」が「法定外」の扱いになります。
一方で、会社が1日に7時間勤務と規定していた場合、1日に8時間働くと、会社の規定では「1時間分」の残業にはなりますが、これはトータルで8時間は超えていないので「法定内」になります。

こういったように同じ「1時間」の残業であっても根本が異なるのです。


法的に時間外労働と言われているのはあくまで「法定外」の部分です。
36協定でも法定内の残業は時間外労働には含めません。
そして何より違うのは「法定外」の場合、割増賃金を払う必要があることです。

割増率は最低でも25%となっています。
つまり時給が1500円なら、1500*1.25=1875円を1時間当たりの残業代として支払う必要が出てきます(正確には375円分ですが表現上、わかりやすくしてます)。

なので、残業が「20時間」あった場合でも、それが全て「法定内」なら確かに「3万円」で済みますが、
全て時間外(法定外)であった場合は1875円*20時間=37,500円が払わなきゃいけない残業代になります。
つまり固定残業代が3万円なら「7500円」分足りないので、固定残業代とは別に追加で払う必要があるというわけです。


これは「深夜」や「法定休日」も同じです。
例えば深夜に労働した場合も割増しとして最低25%必要になります。
20時間の法定外の残業があった場合で、そのうち1時間だけ深夜労働があったら、
(1500*1.25*20)+(1500*1.25*1)=39375円が月の残業代になります。
(法定外で25%、深夜で25%それぞれで加味する必要がある)
固定残業代が3万円だったら、この場合9375円が追加で支払う分ですね。

つまり、固定残業代を「n時間」と定義しても、実際に発生した残業時数のうち、何時間が法定外なのか、深夜なのか、法定休日なのかといったことも加味しなきゃいけないわけです。


固定残業代にしたところで、残業時数の管理はしなければならないし、残業代の計算もしなければ固定残業代として払っている額で足りているかどうもわからないのです。
「賃金の圧縮」もできなければ「労働時数の管理の削減」も全くできず、むしろコストが高くなるというわけです。

だから固定残業代って、本来はたいてい2つの観点からしか導入されない場合が多いハズなのです。

1つ目は、残業しようがしまいが、必ず固定額として出してくれるという完全にホワイト企業の視点。

2つ目は、業務内容がほぼ定量で、残業時数が見通ししたものからほぼブレない場合。
2つ目が本来あるべき固定残業代の観点ですね。
見通しからブレない、つまり実際の残業代が固定残業代をほぼ上回るケースがなければ、
残業時数から残業代を算定する事務コストを下げられるし、会社としてもキャッシュフローが出しやすいしメリットがあるのです。


つまり良いこと尽くしのハズが・・・、世間の印象は悪いものです。
これはあるべき運用がされずに、労働者をだましている、もしくはパワーバランスを利用して労働者を黙らせて違法運用しているブラック企業があるせいです。

道具だって使い方次第では凶器になるでしょう。
刃物を使った傷害事件が発生しても、刃物が悪とはならないです。

だけどその道具の危険性があまりにも高い場合は考え方が変わってきます。
わかりやすいのは「銃器」でしょうか。

そういった考え方の違いが発生する根拠はいったいどこにあるでしょうか?
法的な部分や科学的なものがあればいいのですが、残念ながら割と各人の認識の問題が大きい部分もあります。
本当に何が悪いのかは、しっかりと各人で理解し、考える必要があるのです。