駄文 – 法の意味を考えたい

一般
「ループURL貼って補導」「Coinhive逮捕」に、“JavaScriptの父”ブレンダン・アイク氏も苦言 – ITmedia NEWS
関連:「ブラクラ」補導、不当か妥当か ネットリテラシーと大衆化のジレンマ – ITmedia NEWS


この長文は離脱されるだろうなぁと思い、先日は最終的にがっつり削った上、
公開自体を止めたけどやっぱり気が済まない。
新しい情報も踏まえて改めて書き直した。


今回は摘要した法の観点ばかりが表立って批判されて、
じゃあジョークor悪意しかない迷惑行為から人間を守るのに
どういったルールが必要なのか、っていう部分が置き去りにされている印象です。


どうにもセキュリティとしての観点と法を絡めた場合の議論と、
一方で人間・弱者を守るために必要なルール定義としての議論が混ぜられてしまっている気がします。
「それはそれ、これはこれ」でひとまとめにせず、一つ一つを解いて考える必要がある類だと思います。


少なくとも補導された学生については、先日ピックアップしたように「困らせて楽しむ」という明確な意思のもとやったのだから、
それ相応の咎があり、また、不特定多数に向けた行為で動けるのが警察だけだったなら、補導された事実自体への批判はちょっと違うと思う。


注意喚起ですむものでもないですからね。
言ってきかない層がいて、扮装も絶えないから社会の秩序や形成のためにも法が必要なわけですが、
それはそれ、これはこれで、その際に摘要した法が適切であったかの是非はまた別問題としてある。
じゃあ適切でなかったら、警察が動ける法が他にあったのか、となると未整備もきっと浮かぶだろうってことで、
前述通り、それぞれについて考える必要があるだろう、というのが個人的な意見です。


ただ当然、法が適切でなかったら、補導や送検・逮捕する根拠もなくなりますから、
それを盾に批判に発展している要因の一つもあるだろうとは思っています。
批判はわかるんだけど、それだけの問題で見たら、本来の法としての必要性を見失ってしまうので、
まず個々の状況を解いていき、建設的に持って行かないとダメだと思います。


だから、もしかすると電磁的~ではなく、軽犯罪法で定義されていれば、
まだ反応が変わった類なんだろうなとは思いますが、でも本質はそこじゃないですよね。
だいたいなんで法律が必要なのか、背景は必ずあるんですから、
迷惑行為を許容するような前提があったら本末転倒ですし、もうちょっと論理を組み立てられないものかと思います。
関連:軽犯罪法 – Wikipedia


例えば今日(2019年3月7日時点)の時事ネタですが、下記関連みたいなものだって、
補導される対象になっていることに本来は批判の声が大きくでてもおかしくないでしょう。
関連:博多駅で特攻服→徹底的に補導 荒れる卒業生を県警警戒:朝日新聞デジタル


しかしタトゥーの話題なんかもそうですが、ファッションとして着飾り、本人たちにその気(威圧しているかどうかなど)が無いとしても、迷惑行為として処理されるんですよ。
そもそも危険物でも猥褻でもない服装の規制ってなんだよって話です。
でも自治体によっては特攻服なんかは条例等で規制を明記される。
関連(ちょっと古いですが比較的わかりやすかったので、2010年の記事):[おかしなルール]暴走族の特攻服に刺繍するのはNG!? | 日刊SPA!


こういった偏りにも批判の声が大きく出てしかるべきなのにあまり出ないのは、
やっぱりルールを定義せざる得ない背景として、何もしないと問題がありえるからこそ、それらから守るために存在するからだと思うんです。
現代の話で言えば、ハロウィンの暴動とかまさにそうですよね。
注意しようが問題を起こす輩は出てきてしまう。


別に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」わけではなく、
傾向としてそうなっているから、どうしてもそれに対抗するにはある程度は拘束性のあるルールを作って対応せざる得ない。
特に被害を受けたことがある人は、問題の想像が容易にできるから、それに理解を示せるし、一見おかしいと思われるルールも特定の根拠の元、通ったりするんです。


罰もなく、何も注意せずいたら野放図になってしまいますから、外野の方も議論するなら、
そういった背景を認識・理解し、それを踏まえた未来への展望、問題解決の布石としても考えた上で、個々について出来ることを考えことができれば最高ですね。
ただ残念ながら全ての人がそういうことをできるきっかけや、考える時間、あるいは能力を持ち合わせているとは限らないので、
特に人に対する問題や利益が出てきた場合は満場一致での解決はまず不可能なのでしょうけども。


ああ、長文の上、脱線するけど服装に関してはこういった時事ネタもありますね:「僧衣で反則切符」が問題に 運転中の服装規定削除へ 福井 | NHKニュース
ルールだって間違っていることがわかればそれを認めて修正し、試行錯誤できるものでもあるので、始めから完璧を目指す方が個人的にはナンセンスだとは思いますけどね。
人間はそういう存在じゃないですから。


少なくとも一方の論点のもと、結果ありきで議論しようとするのは止めましょうよ、とは心から思います。
ブラクラの件は、補導されること自体には根拠を見いだせるし(人の意思が明確な迷惑行為)、
一方で摘要した法については疑義がある。
これらをいっぺんに統合して考えて結論を出すのは難しいですから、
まずは一つ一つ、それはそれ、これはこれ、という考え方になりますよね? しないといけませんよね? と言った感じです。

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